社会のレール・歯車から外れたらどうなる?
まだ私が少年の頃のこと。
当時、社会の歯車でい続けることはとてもかっこ悪いことだと思っていた。
BOOWYのDreamin’って曲が大好きだったんだけど、その中の
- ボルト&ナットのしくみで組み込まれる街で
- いつからか番号だけで呼ばれ
- 右へならえでおちつき一日を選べない
なんてフレーズを聞いて、社会の歯車の一部なんかで終わってたまるかなんて意味もなく尖ってた時期もあった。
でも、もうすぐ40代に突入するいま、肌身に染みて理解していることがある。
それは、自分の行動には責任が伴うということ。
氷室京介や布袋寅泰はスーパースター。
彼らはヒーローなので、社会のレール・歯車から外れれば外れるほどかっこよく見えるし、ファンは心酔する。
でも、一般の人間が勘違いして、社会のレール、歯車から外れたらどうなるのか。
そこは冷静に分析しなければならない。
サラリーマンは、社会のレールから外れたら生きていけません
結論から言うと、サラリーマンは、社会のレールから外れたら生きていけません。
たくさんのレールがあります。
そしてたくさんの歯車があります。
私たちサラリーマンは、みなどこかのレールの上を走っています。
もしも脱線したら、転倒する前に大急ぎで近くの線路に飛び乗らなければ、命取りになってしまいます。
脱線と言うのは、例えばリストラされたり、会社が倒産して、働く場所を奪われることですね。
ここで必要なのが、自分を欲しいと言ってくれる新しい働き口を見つけることなのですが、「需要」と「供給」の関係上、必要とされない「ボルト」や「ナット」は誰からの必要とされず、社会のレールから完全に外れてしまうことになります。
そうすると、もはや食べていけないということです。
家族がいる場合、養うことができないことから、家族離散ということも現実味を帯びてきます。
つまり、一般人の私たちが、安直に社会のレールから外れる生き方を実行に移すのは、それ相応のリスクを背負うということを決して忘れてはいけないということです。
社会のレールを選ぶ「選球眼」と「レールに飛び乗る力」を養おう
そこで大事になってくるのが、社会のレールを選ぶ「選球眼」と「社会のレールに飛び乗る力」になります。
社会のレールを選ぶ力とは、自分にとって「当たり」の会社を見分ける力であり、社会のレールに飛び乗る力とは、いつ何歳になっても転職できる力のことです。
自分にとって「当たり」の会社を見分ける力が高ければ、ブラック企業に間違って入社してしまう可能性を減らすことができますよね。
そして、社会のレールに飛び乗る力が高ければ、脱線したとしても、また別の線路に移りたくなっても、すぐに行動に移し目的を達成することが可能になります。
これは、どちらも社会に出ても実際にもまれたり、自ら意識的に磨いていくことでしか、養われないものになります。
自分にも毎日言い聞かせてることでもありますが、資本主義がルールである以上、社会のレール・歯車から外れたら、他のレールにすぐに乗り移らないと、生きていくことはできません。
繰り返しになりますが、それが事実です。
理想と現実のはざまで悩みながら生きていくのが、私たちサラリーマンの宿命なのかもしれません。